釣狐
TSURIGITSUNE
オススメの秘曲は「釣狐」。猿に始まり、狐に終わる・・・
「釣狐」は狂言師の修行過程の、卒業論文にあたる曲と言われます。
「猿に始まり、狐に終わる」
「靭猿(うつぼざる)」の小猿の役で初舞台を踏んだ者が、「釣狐」の老狐を演じることで師匠の手を離れる・・・ そんな修行の様子を表した言葉です。
大曲・秘曲としての位も格も備えたこの曲は、演じる人間にとっては、体力と気力の限界に挑戦するような曲です。
例えば、「構え」(基本姿勢)ひとつにしても、他の狂言とはまったく異なります。
普段の「構え」ですら、お客様からは「保つのが大変そうな姿勢だ」と言われますが、それまで稽古の中で培ってきた経験や身体も、この「釣狐」においては、無となります。
身をかがめ、といっても背筋は伸ばし、肘は身体から離れることがあってはいけません。
その体勢で腰を入れ、「運び」(歩き方)も独特の獣足で、足の裏全体が、舞台から離れないように歩いていきます。
構えも、発声も、独特のもの。自分の経験が応用できることは、ほぼありません。
1から10まで、あらためて0地点に戻って、師匠に習わなくては、演じることができない演目でもあります。
修行を重ね、師匠の手を離れるときに、あらためて、「習う」心を学ぶのです。
お話は、自分の親族を次々と釣り捕られ、自分の命をも狙われている老狐が、猟師に釣りを止めさせるため、危険を冒して説得に行きます。猟師の伯父である僧、白蔵主(はくぞうす)に化けて、殺生は恐ろしいことだと説きに行くのです。
殺生の罪深さ、狐の恐ろしさを語ってまんまと罠を捨てさせますが、普段とは様子の違う白蔵主をいぶかしんだ猟師も、ただでは罠を捨てません。かけながら、捨てておくのです。 そして、帰り道にその罠を見つけた白蔵主=老狐は・・・??
この先は見てのお楽しみ!としておきたいと思いますが、釣る者と、釣られる者の攻防です。
大曲ならではの重みや見どころ・聞きどころは、初めての方には難解に思われることもあるかもしれませんがその奥にある「もの悲しさ」と「たくましさ」と、所々に散りばめられた「笑い」に注目してご覧いただけば決して「難しいわからないもの」ではなくなります。
狂言鑑賞の経験値が上がること、間違いナシの演目です!!
さて、長くなりましたが、最後にもうひとつ。
この「釣狐」を演じるときは、私達はお祓いを受けて臨みます。
楽屋にも専用の神棚を作り、油揚げを供えます。
また、シテは装束をつける姿を見られてはならず、閉ざされた屏風の中で支度をします。
その中に入り装束づけを許されるのは、「釣狐」を披いたことがある人間だけとされます。
芸と心が、受け継がれているということ、しっかりと感じていただけると思います。